空色勾玉
荻原 規子
たどり着きました、そう、ついに神代まで。
10年の時を経て尚、燦然と輝き続ける物語の、起点へと今やっと帰ってきたのです。
水の乙女と、風の若子の最初の舞台へ。
読み終えて、すぅと満たされていくのを感じました。この満足感を、いつまでも与えてくれる作品を、手元において置ける幸せを実感しています。
わたしにとって、勾玉三部作は至宝です。矢張り、始まりである分だけ、空色勾玉が一番、勢いもありわたしは好きです。
彼らが築いたものが、後世を作ると知っているから。
この充足感だけで、わたしは満たされていられる。ああ、幸せ…
読み返すたび、わたしは毎度毎度、稚羽矢に恋をする。彼ほど、何も知らず、何もかもを見通し、狭也を恋うた男はいないでしょう。いえ、稚羽矢という男は最初は存在しないのですね。彼は、男というよりも御子であり、人ではなかったのだから。
けれど、恋は所詮、恋。狭也と稚羽矢が共に幸せであれば、わたしは文句などないのです。
もちろん、稚羽矢が月代に狭也を取られ、
『狭也に何かしたら、みんな殺してやる。あなたでも、父でも、だれであっても』
と言っては、彼における乙女の比重の重さを知り、きゅんとする。同時に、月代が何を考えているのか、今更、水の乙女を恋うているわけではないはずなのに…といぶかしむ。
また、照日に狭也が斬られれば、
『あなたを許さない』
と言った。なぜ、この程度の言葉がこれほど重いのかと思いきや、稚羽矢は無垢な子どもだったのです。いうなれば、初めて母と自分と家の中という狭い世界から出てきたばかりの子どもだったのです。それが、誰かを愛しいと感じている。そのことが嬉しくてたまらないのです。
だから、わたしは稚羽矢に恋をする。彼の幸福を心の底から願う。
願わくば、稚羽矢と狭也が永久に別たれることのないことを。
ですが!初めて、科戸王の妻になりたいと思いました。
無垢で、一途で、許すという概念のない神の子として生まれた稚羽矢を恋うのは、偶像を愛するようなもの。けれど、科戸王はリアルに生きていける男です。そう、科戸王は現実に、地に足を付けて生きている男なのです。
目から鱗が落ちるようでした。ああ、稚羽矢を繋ぎとめられるのは狭也しかいない。故に、二人の幸福を祈れる。
ならば、科戸王は?わたしは彼の幸福のために尽力したい。いっそ、妻!ええ、妻ですよ!彼がわたしに種をくれるというなら、腹で慈しんで育てよう。例え、戦で科戸王が死すことあらば、腹を撫でさすり、科戸王はここにいると言おう。
手甲を嵌め、共に戦場にも出よう。
奈津女のように、わたしは科戸王の良き妻になりたい。
ああ、きっと、明日、烏を見たら鳥彦だと思えるでしょう。人の言葉を話す烏だと思えるでしょう。
『あの子は泣く』と言った、心優しい鳥彦の末裔だと思えることでしょう。
頭が変?ふふ、いいんです。これが余韻。