わたしが、メジャーな作者を読むのはまれなことです。京極夏彦とか読みましたね。ルーガルーとか面白かったですが、京極堂シリーズはときどき、とても欝になりました。
さて、それとは異なり、村上春樹。わたしが、図書館で子供向け図書を離脱したのは、小学生の高学年の頃です。それまで、伝記を読み漁り、クレヨン王国シリーズと、いちごが好きで、ちいさなちいさな王様を愛していました。
そして、一般図書に足を踏み入れてから、勾玉三部作に出会い、トリイ・ヘイデンにはまり、今尚、難解で読解には根気が要る長野まゆみにはまったときに、近くの書棚にあった村上春樹も手にとったことがあります。
大人な話っぽいなーということで、棚に戻しましたが、どう考えたって、なまめかしさや淫靡さでは、長野まゆみが勝るだろうし、花夜叉や間の楔とかエロに特化しているとも言える小説のほうが、大人の話かもしれません。子供の頃のわたしの基準は狂ってる…orz
そんな流れで、放置されて、今、初めて読みました。
あー…読みやすい!!!!
今朝、電車遅延のため、いつもより長めに電車にいたので、読みましたが、スルスル進みます。売れるのが良くわかるテンポの良さと、文章のわかりやすさです。とてもストレートな文章なので、読解しようという努力が必要ありません。ほんと、長野まゆみに格闘したわたしは、どれだけMだったんだ…。
大雑把なストーリーは、ウィキにもありましたが、主人公である僕が二十歳の頃を思い出すという話。
高校時代に亡くなった唯一の友人。死後、東京の大学に進学し、そこで友人の幼馴染であり恋人であった直子と再会する。一年、親密に付き合っていたけれども、直子は突然姿を消し、後に精神を病み、京都で療養していると手紙で伝えてくる。
僕は東京で彼女と文通をしつつ、現実世界では寮の先輩とたまに女漁りに出かけたり、同じ大学の緑ちゃんと良い感じに成ったりする。そして、緑ちゃんを愛していると確信して、しばらくした頃、直子は亡くなり、僕は一ヶ月全国行脚をし、緑ちゃんに電話をかける。
と、ここで終わります。
では、この話が伝えたいことはなんなのだろうか。これがサッパリわからないのだけれど、男ならばわかるんでしょうか。
僕は直子を通じて死を見て、緑ちゃんを通じて生を見る。直子の死に引きずられるように囚われたところを、緑ちゃんに救われるラストなのかなーと思いますが、正直、これは何の話なの?
恋愛小説って、やっぱり向かないなーと痛感する次第です。
どうでもいいですが、この鬱々する恋愛小説、夏目漱石の『こころ』を彷彿とさせるのはわたしだけ?
あ、あと、エロイという一言を聞きましたが、いやいや、まだまだ。
藤本ひとみと、森奈津子と、長野まゆみと、山藍紫姫子を読みなさい。エロさだけなら、わたしはここが強いと思います。
この話の真髄は、きっと、エロイというわれる部分などにはなく、最初から太字で書かれた部分なのでしょうね。が、わたしのは響かないのも確かです。そんなこたー知ってるんだ。
人は、生きながら死に、死にながら生きて行くんです。両方が互いに内包しあってるなんて、誰でも知ってるよ、たぶん。