タイトルに惹かれて、図書館から借りてきました。
そして、半身浴のお供として2日間で読みきりました。一気に冷えたので、半身浴の時間が飛躍的に延びたのと、半身浴中の、ちょっと読書スピードが落ちる中、さくさく読めるストーリーと文章のおかげであっという間でした。
ハードカバーをお風呂場に持ち込んだのも久々です。文庫の方が持ち込みやすいんですよ。
内容は、タイトルから簡単に推測できるかと思います。推測できるけれども、中身が気になりませんか?わたしは読んでみたいと思いました。
だって、これからの高齢化社会の中、実際できないとも限らない、いえ、現在の国会議員の年齢を考えたら、それに近い状況にあるんです。気にならないといったら嘘になります。わたしたち若年層は、政治的弱者。民主主義の数の勝負での、圧倒的な弱者なのですからね。
政治家といえば、薄汚いし、有権者といえば、それすらも忘れて、前に不倫、賄賂、体調不良で首相を辞した人まで再び議院にしてしまうのだから、愚かしいですね。そして、その上に座す議員の傲岸さ。憎たらしいと思いませんか?
そんな風に思った老人が、もう守るものはない。貯金を使い果たしたとしても、老い先短い。どうせ、数年後に迫った死を待つだけよりだったら、選挙に出て、国会議員になって、日本という国を変えてやろうじゃないか!という作品です。
結構、気持ちよいですよ。十二国記を彷彿とさせますね。
かつて、若者には過去がなく、しがらみがないからこそ、なんにでも挑戦できて、どん底に落ちたとしても何度でも這い上がり、栄光を手に入れられる。と考えられていたようですが、現代では違いますね。
そうです、わずか数十年の間、人間の半生ほどの時間で変わってしまったのです。
若いからこそ未来があり、その長い将来を考えて、石橋を叩いて生きる時代です。
だから、過去があり、未来がない(少々失礼ですね、まあ、比較も問題です)、けれども金はある人が、昔の夢と希望を満たす時代が来たのかもしれません。
素直に、戦争を、高度経済成長を成し遂げた人々の方がモチベーションがあり、わたしたち若年層にはハングリー精神が失われているだけかもしれませんね。
けれども、わたしはそのことを親やその上の世代に文句を言われたいとは思いません。世代責任というものを、忘れてはほしくないと思います。いずれ来る、わたしたちの子供世代に、わたしたちのエゴを反映させないように、いつか作りたいですね、老人党。